一準について。その1

本文は一準同人誌を出すにあたり掲載したいと思っている分の草稿である。

2024年1月26日に『鉄拳8』がリリースされた。

ナンバリングシリーズとしては『鉄拳2』ぶりに風間準がプレイアブルキャラクターとなった。
風間準のファンにとっては、信じられない(くらい嬉しい)復活であったし、
三島一八と風間準の関係を探りたい人・・・一準ファンの間で、2人がどうなるのか騒がれた。

私も風間準のファンであり一準ファンである。
実際ストーリーを見たその感想、というより、

一準への思い

というものをオールドスクールすぎて恥ずかしい方法だが、ここに文章として認めたいと思う。

というのも、一準は私の人生における素敵な思い出であり、
神話のようなものだから。

茶化しはいらない。本題に入る。

私が鉄拳2をプレイしたのは96年の秋だ。
家庭版がリリースされたのは3月で、私はそれまでプレイステーション自体触ったことがなかった。
9月か10月くらいに、同級生の家で、初めてプレイステーションで遊ばせてもらった。いくつかソフトがあったはずだが、その中でもひときわ楽しかったのが『鉄拳2』だった。格闘ゲームをちゃんとやったのも、この時が初めてだった。吉光を見て「なんだこれは!」と思ったのを今でも覚えている。
その時の体験があまりに楽しかったのか、クリスマスに本体と一緒に『鉄拳2』を買ってもらった。

女児だったので、とりあえずカワイイと思った女の子キャラを使った。それが風間準だ。

初めての格ゲーだったから、とりあえずよく分からない中やっていた。
進めていくと、最初は出てこなかったキャラが出てくる。
そんな中で私に永久のショックを与えた存在が現れる。
『鉄拳2』のボスキャラ、三島一八である。

女児の私は、三島一八を理解することができなかった。

理解することができないというのは、強く興味を惹かれるのにも関わらず、それがなぜなのか、この感覚はなんなのか出来ない、という、ラブコメ漫画でよく表現される感情が、三島一八を見つめる女児の側で一方的に発生したのである。つまり、要約してしまうと、初めて「恋愛感情」が発生したのだ。これはコメディどころか悲劇でもあるのだが。

ただ当時の私が把握できたのは「この人さみしくないのかな」という気持ちが湧いたことだった。

父親を憎み倒し、あらゆる人に憎まれ、権力を手にし、どこまでも力を手に入れようとするも、友達もいなさそうだし、いつも怖い顔してるし、服は紫でキモいし(のちにこの「キモい」は「たまらなく好き」であると判明する)間違いなくひとりぼっちであることは明白、だから「さみしくないのかな」と思ったのだ。多分本人でさえも、さみしいなんて思ったことはないだろう。

「さみしい」という言葉は格ゲーには、特に『鉄拳』には相応しくないので措くとして、しかし風間準は、一八にただならぬ何かを感じて接近しようとしていた。これは事実である。
この人、つまり「三島一八はさみしくないのかな」が、私と風間準、そして三島一八を結びつけた感覚であり、まさかそれが28年経った今までつながっている。

そんな気持ちを抱えていたある日、父親が帰宅するなり「職場の若い奴が話してたんだが『鉄拳3』で一八と準は結婚するらしいぞ」という訳分からない噂を報告してきた。
何度も繰り返すが、私は当時一人で電車に乗ったことがないくらい幼く、父親の話した噂は、全く意味不明だった。そして超ウルトラスーパーショッキングだった。

そんなこと、ゲームの内容になくない!?

なんで!???

私は、もしかしたらそんな隠しエンディングが用意されているのではないかと何度もプレイした。
テニミュの青学vs立海を観まくってた頃、次こそは立海が勝つのでは?と思って観ていたが、もう子どもの頃にそのマインドはあったのである。オタクの素地だ。

しかしそんなエンディングはない。なぜかスタート画面のロゴが一八の目になるだけだ。
(あれ超かっこいい)

一体、うら若き可憐な準ちゃんの身に、一体何が起こったのか。
三島一八に対して、私はどう向き合えばいいのか。友達にも一八のことが好きだなんて言えないし。

そんなある日。
母に連れて行ってもらって、新宿に映画『101』を観に行った。観た帰りに、今でいう歌舞伎町ドンキの前あたり、タイトーステーション付近のゲームセンターに『鉄拳3』のポスターが貼ってあったのか、とにかく中に入った。多分「鉄拳3? え?この人誰? 一八に似てない?」と思ったのかもしれない。ゲーセンなんて入ったことないから、とにかく母親にせがんだのは間違いない。

そのゲーセンは地下に格ゲーが置いてあったと思うのだが、その階段の壁に「鉄拳2から3に到るまでの19年間の説明文」(ベースストーリー)が貼ってあったのだ。ショックを受けた。

PlayStation/鉄拳3-TEKKEN3- | バンダイナムコゲームス公式サイト

ショックすぎて、嘘じゃないかと思った。

『101』の内容なんて全て消えた。こんなの嘘だ見間違いと思ったから、翌週友達2人を誘って、ベースストーリーを手分けしてメモに写して、数枚のコピー用紙にまとめた。(当然インターネットは、今ほど普及してない。)いかにも子どもらしいけど、必死だったのだ。

事実だった。
一八と準の間に子どもができて、一八どころか準も消息不明。
その子どもである風間仁が、3の主人公だというのだ。

ちなみにこの「みんなでメモった思い出」は、97年3月8日『101』日本公開と3月20日『鉄拳3』アーケードリリースの間に起こった出来事で、リリース後だったらわざわざ新宿までメモを取りに行かなかったと思う。昔からの鉄拳ファン、そして一準ファンなら誰でも知ってる、あの長文(以降BSと呼ぶ)だ。少なくとも、当時の攻略本などにはBSが載っていた。
いや、どうかな。私はそれが嘘じゃないってことを自分に納得させて、友達とシェアしたかったわけだし、攻略本の発売は待てなかったかもしれない。とにかく、私はめちゃくちゃなショックを受けた。そしてこういうことに友達に協力を請うことを厭わないタイプだった。
ちなみにタイトーステーション新宿東口店のオープンは98年に入ってからなので、私がBSを見たゲーセンは別のゲーセンのはず、もしお分かりになる方いたら教えてください。

今思うと……
父親がタレ込んで来た「一八と準の結婚」の噂が立つのはおかしくなかったと思う。
『3』のリリース直前だったわけだし、『2』のコミカライズなんて、それこそ一八と準を取り上げたものが多かったし、その究極ともいえるものが橋本正枝先生の『鉄拳』であろう。
しかしそれに気付いたのはここ何年かの話で、橋本先生の『鉄拳』を読んだのはもう『鉄拳3』のリリースの後だったから、「こういう解釈もあろう」みたいな感じで……橋本先生の『鉄拳』の話は後述する。

当時の私には、まずリアルタイムで物語が進んでいく衝撃が大きかった。そう、ジャンプとかの週刊誌を読む前でもあった。私は準が一八に興味を持っていることを知っていたから準を選んだのではなく、準かわいい→一八に接近?→一八こわい→準と一八に何が起こったのか、まで自力で選んで、たまたまゲーセンで「長文」を見つけ、子どもが生まれるという事実を食らったわけだった。

空想が好きな子どもだったから、一八の元にたどり着いた準、その2人の会話を想像してみたりした。(この辺からもうガッツリプレイヤーとではなく根っからのライトファンなわけだが、上記の理由なので許してほしい。)

だが、一体何が起こったら子どもが出来るのかが分からなかった。
当時の私は幼すぎて、男女の間に何が起これば子どもが生まれるのか、知らなかったのである。
でも、なんだかロマンチックなことが介在していそうだった。キスとか。
でもでも、三島一八にそんなことは似合わない。

その後、理科の授業で哺乳類の交尾の説明を受けて、一般の場合を理解した。しかし……

「一八と準の間には何が起こったのか」

その説明にはならなかった。だって、BSには準が「一八の神秘的な力に吸い込まれていくのを感じる」って書いてあるんだもん。哺乳類の交尾に、神秘的な力はなさそうだった。いや、あるのか???

BSに基づくのであれば、一八が神秘的な力、デビルを有しており、それに準が吸い込まれていく、という理解なので、「デビル=神秘的=そこに準が惹かれる→仁の誕生」だから、哺乳類とは無縁の話であるように思えたし、そうであるべきと思ったのだ。

三島由紀夫の『午後の曳航』の前半に、主人公の登が、未亡人の母と航海士の竜二の情事を覗き見して「奇蹟!!!」って思っちゃうシーンがあるのだけど、幼き冬野はこの登の立場なのだ。もっと言うと、私は三島の『憂国』を先に読んでいたから、ああした男女の描写を「神話」的なものと捉えていた。

そう、一準は私の中で神話になって行った。家族を形成するものでも、哺乳類の交尾でもないから。
(その元をたどると、ディズニーの『美女と野獣』になるのだが、これはまた別の話)

つづく。

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